
ロードサイクリングの報酬設計に学ぶ ― 2層構造の考え方
前回、「シニアサポーター」という仮説を書きました。マネージャーを外れた人に名前と役割を与えることで、「降格」を「移行」に変える、という話です。
でも、名前と役割だけでは足りない。報酬の問題が残っている。
ここが一番難しいと正直に書きましたが、ロードサイクリングの報酬構造を調べてみたら、思いのほか示唆深い設計が見えてきました。
ロードサイクリングの報酬は、2層になっている
ロードサイクリングの世界では、エース(チームのエース選手)とアシスト(グレガリオ)で報酬の構造が明確に分かれています。
まず賞金について。チームが獲得した賞金は、チーム内で均等に分配される慣例があります。エースが勝っても、アシストが風よけに徹して体を張っても、賞金の取り分は同じ。短期的な成果の果実は、役割に関係なく全員で分かち合う。
一方で、基本給は全く別の話です。エース級の選手とアシスト選手では、年俸に大きな差がある。トップクラスのエースと中堅のアシストでは、何倍もの開きがあります。
つまり、ロードサイクリングの報酬は2つの層でできている。
短期の成果報酬(賞金)→ チーム内で均等分配。
基本報酬(年俸)→ 能力・実績・役割で差がつく。
この2層構造が、「アシストであることの納得感」を支えています。短期的な勝利の果実は平等に分かち合うけれど、長期的なキャリア価値は個人の実力で積み上がっていく。
エースからアシストになった人は、どう納得しているのか
ここが私にとって一番気になったポイントでした。
前回の文脈で言えば、「マネージャーからシニアサポーターになった人が、報酬が下がることにどう納得するのか」という問いに直結します。
ロードサイクリングの世界では、実はエースからアシストへの転向はそこまで多くありません。多くのアシスト選手は、最初からアシストとしてキャリアを積んでいる。でも、転向した選手たちの語りを見ていると、3つの納得のロジックが浮かび上がってきます。
1つめは、「勝利の共有」という感覚。
ある選手はこう語っています。エースが勝つとき、それはチーム全員の勝利でもある、と。勝利の主語が「自分」から「チーム」にシフトしている。これは単なる綺麗事ではなく、実際にレースの現場で体を張って支えた実感があるからこそ出てくる言葉だと思います。
2つめは、「キャリアの延命」というリアルな計算。
エースであり続けることの消耗を体で知っているからこそ、アシストへの転向を合理的な選択として捉えている選手がいます。キャリアを長く続けたいと考えたとき、アシストというポジションは最適だと。これは綺麗な話というよりも、かなり冷静な判断です。
3つめは、「重圧からの解放」。
エースという存在はものすごい重圧を抱えている。精神的にキツく、レース全体を俯瞰する余裕がなくなることもある。アシストに回ることで、その重圧から解放され、違う景色が見える。
この3つを見て思ったのは、納得感は報酬だけで作られるものではない、ということです。
組織に応用するなら、どうなるか
ロードサイクリングの2層構造を、そのまま組織に当てはめてみます。
短期の成果報酬(賞与・インセンティブ)→ チーム全体で均等に近い配分。
マネージャーだろうとシニアサポーターだろうと、チームとして出した成果の果実は分かち合う。「今期は誰が前にいたか」で賞与が大きく変わることはない。
基本報酬(月給・年俸)→ 経験の深さ × 今どの役割にいるか、の2軸で設計。
ここがポイントです。シニアサポーターは役職としては「前」から「後ろ」に移行しているけれど、経験値の高さで基本報酬の水準が維持される。「マネージャーを3年やった経験」は、シニアサポーターになっても消えない。むしろその経験こそがシニアサポーターの価値の源泉なので、報酬に反映されるのは自然なことです。
従来の「役職=報酬」という1軸の設計では、役職を外れた瞬間に報酬が下がる。でも「経験の深さ × 役割」という2軸にすれば、移行しても報酬水準を維持できる設計が成り立つ。
それでも残る、難しさ
ここまで書いてきて、制度設計としてはかなり筋が通ってきた気がしています。でも、正直に言うと、まだ引っかかっていることがあります。
ロードサイクリングで納得感が生まれているのは、報酬設計だけが理由ではないんです。
もっと根本にあるのは、「前にいることのコスト」がチーム全員に見えているということ。エースが山頂で力尽きそうになる瞬間を、アシスト選手はリアルタイムで見ている。消耗が身体として可視化されているから、共感が生まれ、「支えること」に意味が実感できる。
翻って組織では、マネージャーの消耗はどこで起きているか。会議室の中です。1on1の中です。経営層との板挟みの中です。チームメンバーには結果しか見えていない。
消耗のプロセスが見えなければ、「前にいることのコスト」への敬意は生まれにくい。敬意がなければ、「後ろにいること」の価値も理解されにくい。
制度を作っても、この不可視性の問題が解かれなければ、文化としては根づかないかもしれない。
制度と文化は、セットでしか機能しない
今回の話を整理すると、こうなります。
報酬設計としては、「短期成果の均等分配 × 経験の深さに基づく基本報酬」という2層構造で、シニアサポーターへの移行に伴う報酬の問題はある程度解ける。
でも、それだけでは足りない。マネージャーの消耗がチームに見えていない限り、「支える役割」への敬意は生まれない。制度だけあっても、文化が伴わなければ絵に描いた餅になる。
では、その文化はどうやって作るのか。
次回は少し角度を変えて、「マネージャーの鎧を脱ぐ」ということについて考えてみます。ロバート・キーガンの発達理論が、ここに接続してきます。
前回の記事はこちら:

シニアサポーターという役割設計 ―「降格」を「移行」に変える
次回の記事はこちら:

マネージャーの鎧を脱ぐ ― キーガンの発達理論との接続
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