
マネージャーの鎧を脱ぐ ― キーガンの発達理論との接続
前回、報酬設計の2層構造について書きながら、最後にひとつ引っかかりを残しました。
マネージャーの消耗がチームに見えていない。
制度を整えても、この不可視性の問題が解かれなければ、文化としては根づかない。今回は、この問いに向き合ってみます。
少し個人的な話から始めさせてください。
「強くなければならない」という鎧
私がチームリーダーをしていたとき、ひとつ強く信じていたことがあります。
リーダーは弱さを見せてはいけない。
チームの前では常に冷静で、判断に迷っている姿は見せない。上からのプレッシャーも、自分のところで吸収する。それがリーダーの仕事だと思っていました。
振り返れば、あれは鎧でした。
チームを守るための鎧であると同時に、自分を守るための鎧でもあった。「この人についていけば大丈夫」と思ってもらいたかった。不安を見せたら、チームが揺らぐと思っていた。
結果、何が起きたか。
私の消耗はチームには見えなくなった。会議室で板挟みになっていること、経営と現場の間で綱渡りをしていること、夜中にひとりで判断の正しさを反芻していること。そのすべてが不可視になった。
チームから見えていたのは、「いつも冷静なリーダー」という表面だけです。
だから、私が「電池切れ」で倒れたとき、チームは驚いたと思います。見えていなかったのだから、当然です。
消耗が見えないと、何が起きるか
前回、ロードサイクリングとの比較で書きました。アシスト選手はエースが山頂で力尽きそうになる瞬間をリアルタイムで見ている。消耗が身体として可視化されているから、共感が生まれる、と。
組織では、これが起きていない。
マネージャーの消耗は会議室や1on1の中で静かに進行していて、チームメンバーには結果しか伝わらない。だから「前にいることのコスト」に対する実感が育たない。
実感がないと、何が起こるか。
シニアサポーターという役割を制度として作っても、チームメンバーからは「あの人は楽なポジションに移った」と見えてしまう可能性がある。前にいることの大変さがわからなければ、後ろに移行することの意味もわからない。
制度は器を作る。でも、器に中身を入れるのは文化です。
では、その文化はどう作るのか。ここで、ロバート・キーガンの発達理論が接続してきます。
キーガンの「自己変容型知性」
ハーバード大学の発達心理学者ロバート・キーガンは、大人の知性には段階があると言っています。細かい理論の説明は省きますが、ここで重要なのは最も成熟した段階とされる「自己変容型知性(Self-Transforming Mind)」の考え方です。
この段階に達した人は、自分の価値観やアイデンティティそのものを客体化できる。つまり、「自分はマネージャーである」というアイデンティティに囚われず、その役割を外から眺めることができる。
もう少し噛み砕くと、こういうことです。
多くのマネージャーは「マネージャーであること」と「自分自身」を同一視しています。役職=自分。だから役職を外れることは、自分の一部を失うことと同じ重みを持つ。
自己変容型知性の段階では、「マネージャーという役割を担っている自分」と「自分そのもの」を分けて捉えられる。役割は着脱可能なものであり、外しても自分は自分のまま。
これが「鎧を脱ぐ」ということです。
鎧を脱ぐことは、弱さの開示ではない
ここで誤解されたくないのは、「鎧を脱ぐ」ことは単に弱音を吐くことではない、ということです。
キーガンが言っているのは、もっと構造的な話です。自分が何に囚われているかを自覚し、それを意図的に手放すことができる、という知性の段階。
マネージャーが「今、自分はかなり消耗している」とチームに伝えることは、弱さの開示ではなく、役割のリアリティの共有です。
「自分は今これだけの負荷を受けている。だからこのタイミングで交代したい」
これが言えるためには、2つのことが必要です。
1つめは、本人の内面的な成熟。役職と自分を切り離して、「今は後ろに回るべきだ」と判断できること。
2つめは、それを受け止める組織の仕組み。つまり、後ろに回る先に名前と役割と報酬がある、シニアサポーターという器。
内面の発達(鎧を脱ぐ力)と、制度設計(受け皿としての役割)。この両方が揃って初めて、交代が「移行」として機能する。
発達思考型組織とのつながり
キーガンは『なぜ弱さを見せあえる組織が強いのか』という著書の中で、「発達思考型組織(Deliberately Developmental Organization)」という概念を提唱しています。
全員が自分の弱さや課題をオープンにし、それを組織全体で成長の機会として扱う。そういう文化を意図的に作っている組織を指す言葉です。
この考え方とフォーメーション型組織論は、深いところでつながっていると私は感じています。
マネージャーが「前にいることのコスト」をチームに見せられるようになること。それは弱さの暴露ではなく、フォーメーション全体が機能するための情報共有です。渡り鳥が先頭の消耗を群れ全体で感知しているように、マネージャーの状態がチームに見えていることが、交代のトリガーを生み出す。
ただし、これには順序がある気がしています。
いきなり「マネージャーは弱さを見せましょう」と言っても、それは無理です。鎧を脱げと言う前に、脱いだあとに立てる場所を用意しないといけない。
先に制度を作る。シニアサポーターという名前と役割と報酬がある状態を先に整える。その上で、「鎧を脱いでも大丈夫だ」という安心感を作っていく。
制度が先、文化が後。でも、最終的には両方が必要。
シニアサポーターのもうひとつの役割
ここまで考えてきて、シニアサポーターの役割定義にもうひとつ加えたいものが見えてきました。
前回までに書いた「新任マネージャーの壁打ち相手」「組織の文脈の伝承」に加えて、「前にいた経験から来る共感で、マネージャーを支える」という機能です。
シニアサポーターは、かつて自分も鎧を着ていた人です。前に立つことのプレッシャー、孤独、消耗を体で知っている。だからこそ、今前に立っている人に対して、「あなたが何を背負っているか、わかっている」という共感を届けられる。
これは新任メンバーには絶対に提供できない種類の支援です。
ロードサイクリングのアシスト選手が、かつてエースだった経験を持つからこそ最高のサポートができるのと同じ構造です。
まだ見えていないこと
正直に書くと、この連載を通じて考えてきた「フォーメーション型組織論」は、まだ完成していません。
制度設計の骨格は見えてきた。文化の方向性も見えてきた。でも、実際にこれを運用するとなると、まだ答えが出ていない問いがたくさんあります。
「交代のタイミングを誰がどう判断するのか」「シニアサポーターの期間はどれくらいが適切なのか」「組織の規模によって設計はどう変わるのか」。
でも、答えが全部揃ってから書こうとしたら、たぶんいつまでも書けない。
次回、最終回では、ここまでの議論を統合して全体像を描いてみます。そして、この考え方がリジェネラティブ・リーダーシップという思想とどうつながるのかについても触れたいと思います。
前回の記事はこちら:

ロードサイクリングの報酬設計に学ぶ ― 2層構造の考え方
次回の記事はこちら:

フォーメーション型組織論の全体像 ― リジェネラティブ・リーダーシップへの接続
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