
「元に戻すこと」を成功と呼ぶ社会で、何かが積み重なっていく
ふと、飛行機のコックピットのことを考えていました。
特にきっかけはありません。なんとなく頭に浮かんで、そのまま考え続けていました。
今どきあんなに複雑な作りでいいのか。タッチパネルに統一できるんじゃないか。そんな素朴な疑問から調べていくうちに、「そうじゃないな」とわかってきました。乱気流の中で手探りでも確実に操作できること、一つの故障が複数の機能を奪わないこと、視線を外さずに操作できること。物理スイッチが残り続けている理由は、技術の問題じゃなくて人間の問題でした。
まとまりのない思考になるかもしれませんが、その日の内省をそのまま書き残しておきます。
「技術的にできること」と「人間にとって自然なこと」
テスラやフォルクスワーゲンのゴルフ 8 が、エアコンやウインカーまでタッチスクリーンに統合した結果、ユーザーから使いにくいという声が相次ぎました。欧州の安全評価機関 Euro NCAP も、2026 年から物理ボタンのない車の評価を下げる方針を打ち出しています。
人間は手応えがあることで「今、自分がこれをコントロールしている」という状況認識を保てます。それが失われると、何かがずれていく。「技術的にできること」と「人間にとって自然なこと」は、一致しないことがあります。
コックピットはそれを知っていた。
任天堂が作ったもの
そのとき思い浮かんだのが、Nintendo Switch でした。
Switch は「何を物理ボタンにして、何をタッチに任せるか」の線引きが絶妙です。リアルタイムでミスが許されない操作は物理で、設定や情報閲覧はタッチで。その使い分けを、ユーザーに考えさせていません。気づいたら体が自然に選んでいます。
でも、この「物理ボタンを大事にする」という発想は、Switch だけの話ではありません。Xbox も PlayStation も、コントローラーの基本は物理ボタン中心です。なぜそうなったのか。もともとは任天堂が作ったからです。
1982 年、横井軍平氏という開発者が十字キーを発明しました。「左に十字キー、右にボタン」というレイアウトはファミコンが起源で、それが業界の事実上の標準になりました。初代 PlayStation の方向キーが「4 つの独立した形」をしているのは、任天堂の実用新案権を避けるための設計です。アナログスティックも、N64(1996 年)が家庭用ゲーム機として初めて標準搭載し、PlayStation と Xbox が後から追いかけました。他社は、任天堂が作った標準の上に乗ってきた。
そしてもう一つ。任天堂には PlayStation や Xbox とは根本的に違う開発哲学があります。「枯れた技術の水平思考」という、横井軍平氏が提唱した考え方です。最先端のスペックを競うのではなく、すでに普及して安くなった技術を別の用途に組み合わせることで新しい体験を作る。
ゲームボーイはカラー化できたのに、あえて白黒で出しました。そのかわり電池が長持ちして、カラーの競合機を市場から退場させました。Wii はスペックでは PS3 にも Xbox 360 にも劣っていましたが、「遊び方」を変えることで幅広い層を取り込み、スペック競争から降りたまま勝ちました。
2025 年 6 月に発売された Nintendo Switch 2 も、同じ文脈で読めます。新機能はいくつか追加されましたが、コンセプトは初代と変わっていません。開発者インタビューによると、スペックを上げた理由は「競合に勝つため」ではなく、「新しい遊びを提案したいのに、処理速度が制約になるときが増えてきた」からです。体験が先にあって、それを実現するために器を広げた。PS5 や Xbox Series X とのスペック差は今も大きいままです。
「制約が体験の邪魔をするときだけ、器を広げる」。それ以外はコンセプトを変えない。
任天堂は、制約を言い訳にしない。制約の中で何が生み出せるかを考え続ける。その感覚が、1982 年からずっと続いています。
コックピットから、人の話へ
では、こういう感覚を持った人が、別の産業に行ったらどうなるか。
「技術でできること」ではなく「人間にとって自然なこと」から設計を始める感覚。制約を起点に発想する感覚。それがゲーム業界の外に持ち込まれたとき、何かが変わるかもしれない。そう考えたとき、「産業間を人が動く」ということの意味が、少し違って見えてきました。
異質な感覚が交差するときに、新しいものが生まれる。
たとえば、任天堂で「制約の中から体験を作る」ことを身体で知っている人が、航空機メーカーや医療機器の会社に行ったら何が起きるか。あるいは逆に、コックピット設計の思想をゲーム業界が取り込んだら何が変わるか。そういう想像をしたとき、「人が産業を越えて動く」ことの意味が、単なるキャリアの話とは違う重さを持って見えてきました。
でも、そういう動きは今の日本ではすごく起きにくい。転職は基本的に一方通行で、一度辞めたらその会社との関係はリセットされます。だから異業種に飛び込むこと自体がリスクになって、みんな同じ業界の中で回り続ける。
本当に価値があるのは、ある場所で培った感覚を別の場所で試してみて、そこで得た知見をまた持ち帰る、みたいな循環だと思います。でも「戻って来れる自由」がないと、その循環は生まれません。
「戻って来れる自由」というのは、単純に「出戻り OK」ということではなくて、もう少し広い話です。外に出ることがリスクにならない、動いた結果をゼロにリセットしなくていい、という状態のこと。それがあるから「ここにいたいからいる」と純粋に思えるのであって、「辞めたら終わりだから留まる」とは全く違います。
コロナの出向という「自然実験」
ここで思い出したのが、コロナ禍に航空会社が行った大規模な出向でした。
日本航空(JAL)は客室乗務員約 7000 人のうち延べ 2220 人を異業種に出向させ、全日本空輸(ANA)でも 2021 年 4 月までの累積で約 750 人が出向しています。規模としては、日本の労働市場の歴史でもほぼ前例がないレベルだったと思います。
「その後どうなったんだろう」と調べてみると、データがほぼ存在しませんでした。
送り出した人数はわかります。戻ってきた美談もあります。でも「何人が戻って、何人が別の道を選んで、戻った人のパフォーマンスはその後どう変わったか」という肝心のところが、どこにも記録されていません。企業も、政府も、研究機関も。
これが、思いのほかグサッときました。
数千人規模の人間が、半ば強制的に異業種を経験して、その後の人生が実際に変わったはずなのに、それが何も残っていない。社会実験として見れば、これほど貴重なデータセットはなかった。なのに誰も観察しなかった。
なぜ記録しなかったのか
「なぜ残さなかったのか」を考えると、組織の力学として理解はできます。
復帰率が高ければ「雇用を守れた」という成功の証になります。でも低ければ「出向させたら人材が流出した」という話になる。どちらに転んでも、公表するインセンティブが生まれにくい。あの出向は雇用調整助成金、つまり公的資金を使って行われていたから、なおさら「問題があった」と見えるデータは出したくない。
政府側も同じで、助成金の効果検証としては「失業率をどれくらい抑制したか」というマクロの数字があれば十分でした。個人がその後どうなったかは、制度の趣旨から外れています。
でも。
人間が新しい環境で価値観を揺さぶられて、「自分にはこっちの方が合っていた」と気づいて別の道を選ぶ。それは、制度的には「失敗」に分類されてしまいます。元の場所に戻ることが成功で、戻らないことが失敗。そういう物差しで測っているから、そのデータを取りたくないという力学が働く。
物差しそのものが、ずれているのではないか。
積み重なっていくもの
これは飛躍かもしれないけれど、こういう積み重ねが日本の国力に効いているんじゃないかと思いました。
一つ一つは小さく見えます。データを取らなかった、情報を開示しなかった、動きたい人が動きにくい制度のままだった。でもこれが何十年も積み重なると、社会全体として「新しい組み合わせ」が生まれにくくなります。
任天堂が制約の中から新しい体験を作り続けてきたように、異質な感覚の交差からイノベーションは生まれる。でも日本はその交差を起こりにくくする仕組みをいくつも持ってしまっています。
厄介なのは、誰か一人が悪いわけじゃないところです。企業も合理的に判断して情報を出さない、政府も制度の趣旨通りに動く、個人も動くリスクが高いから留まる。みんなそれぞれの立場では合理的なのに、全体として見ると国力が削がれていく方向に進んでいる。
まだわからないこと
この問いに、まだ答えは出ていません。
「人間は価値観を揺さぶられて変わるのが当たり前で、それを社会が認めてあげられるかどうか」という話は、制度論とは少し違う層にあると思っています。制度を変えれば解決する話ではなくて、「元の場所に戻ること=成功」という無意識の前提をどこかで問い直せるかどうか、という話だと思います。
コロナの出向は、その前提を揺さぶるチャンスだったのかもしれません。数千人が外の世界を経験して、「やっぱりここがいい」と戻ってきた人も、「こっちの方が合っていた」と別の道を選んだ人もいたはずで、どちらも等しく意味がある経験だったはずなのに。
そういうデータが残っていないことの「もったいなさ」は、実は社会が何を成功と定義しているかの写し鏡なのかもしれない、と思っています。
ふと思ったコックピットのことが、こういうところまで来ました。
もう少し持ち続けてみようと思います。
参考
横井軍平氏の発想と「枯れた技術の水平思考」については、本人のインタビューをまとめた以下の書籍が出典です。任天堂という会社の根っこにある感覚を知るうえで読み応えがあります。
「戻って来れる自由」やキャリアの揺らぎについて、もう少し考えを深めたい方には以下の書籍も参考になります。
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