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    「失敗」を問い直していたら、人間の存在意義にたどり着いてしまった
    思考の砂場
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    「失敗」を問い直していたら、人間の存在意義にたどり着いてしまった

    タカシ ユウト/ TIELEC代表
    7 分で読める

    エイミー・C・エドモンドソンの『失敗できる組織』を読みました。

    心理的安全性、失敗の3分類、リーダーの役割。書いてあることは理解できるし、大事なことだとも思います。ただ正直なところ、読みながらどこかで「まあ、そうだよね」が先に来てしまって、グサッと刺さる感覚がなかったんです。

    なんでだろう、と考えているうちに、もっと手前にある問いに引っかかりました。

    そもそも「失敗」って、なんなんだろう。

    ここから思考がだいぶ飛躍していくので、まとまりのない文章になるかもしれません。でも、この遠回りの過程自体に意味があった気がするので、そのまま書いてみます。


    「失敗」には必ず前提がある

    「失敗」という言葉は、必ず三つのものを前提にしています。目標があって、基準があって、それを評価する誰かがいる。

    つまり失敗とは、客観的に存在するものではなく、誰かが何かを基準に下した判断でしかない。

    文化によっても全然違います。シリコンバレーでは失敗は勲章のように語られるし、日本では恥として扱われやすい。同じ出来事が、ある場所では学びになり、ある場所では致命傷になる。

    エドモンドソンの議論は「組織の目標達成に向けて、失敗を学習に活かそう」という構造です。でも、そもそもその目標自体が正しいかどうかは問われていない。ここに、自分が感じた物足りなさの正体があった気がします。


    失敗について考えること自体、無意味かもしれない

    ここからさらに飛躍します。

    人間がこの地球にいてもいなくても、地球という生命体は続いていく。46億年の歴史の中で人類が存在したのはほんの一瞬で、私たちがいなくなっても地球は何事もなかったように回り続けます。

    そう考えると、失敗について考えること自体が無意味なんじゃないか、とすら思えてきます。人間が勝手に作った評価軸のゲームの中で、「成功」だ「失敗」だと言い合っているだけなのかもしれない。

    でも、ここで立ち止まりました。

    「無意味だ」と感じるこの感覚自体は、いったい何なんだろう、と。


    宇宙が自分自身を知るための装置

    一つの考え方に出会いました。正確には、対話の中でたどり着いた、と言ったほうが近いかもしれません。

    「人間は、宇宙が自分自身を認識するために偶然生まれた装置である」という見方です。

    宇宙はビッグバン以来ずっと存在していたけれど、それを認識するものはいなかった。人間が現れて初めて、宇宙は「自分が存在している」ことを知った。

    この視点に立つと、面白いことが見えてきます。

    「答えが出ないとわかっていても問わずにいられない」という人間のあの感覚——あの飢えるような感覚こそが、宇宙が自己認識するためのエンジンなのかもしれない。

    問うことをやめた瞬間、宇宙はまた「自分を知らない状態」に戻ってしまう。


    じゃあ「気づいたから何なの?」

    正直、ここで「だから何なの?」という気持ちも湧いてきます。

    宇宙が自己認識するための装置だとわかったとして、じゃあ明日の朝、少し楽に起きられるかといえば、たぶんそんなことはない。目の前の仕事も、組織のややこしさも、何一つ変わらない。壮大な話をしたわりに、手元には何も残っていない感覚です。

    でも、この「だから何なの?」と感じること自体が、すごく人間らしいことなんだと思うんです。動物は宇宙の意味を問わない。でも人間は、答えが出ないとわかっていても問わずにいられない。その問い続ける衝動こそが、たぶん人間が人間である所以なんだろうと。


    組織における失敗とは、結局なんなのか

    ここまで来て、最初の問いに戻ります。

    私がたどり着いた答えは、こうです。

    組織における失敗とは、「宇宙が自己認識しようとする運動を、止めてしまうこと」ではないか。

    もう少し地に足のついた言葉で言えば、「問い続けることをやめること」です。

    エドモンドソンが心理的安全性という言葉で本当に守ろうとしていたのは、業績でも効率でもなく、組織の中で人間が問い続けられる状態だったのかもしれません。沈黙の本当の恐ろしさは、事故が起きることでも業績が下がることでもなく、人間が問うことをやめてしまうことにある。

    そして逆説的ですが、組織における最大の失敗は「失敗を定義して管理しようとすること」そのものかもしれない。失敗を管理した瞬間、「この範囲内で問え」という檻ができてしまう。そこでの問いは、飼いならされた問いでしかない。

    エドモンドソンの思想はもしかしたらそこまでの深さを持っていたのかもしれないし、ハーバードのビジネススクール教授として実務家に届ける言葉を選ぶ中で、意図的に圧縮していたのかもしれない。そこは正直、わかりません。


    伝わらなくても、問いは残る

    もちろん、「組織における失敗とは、宇宙が自己認識しようとする運動を止めてしまうことだ」と誰かに話しても、たぶん伝わらないと思います。「この人は何を言ってるんだ」と思われるでしょう。

    でも、「何を言ってるんだ」という反応は、相手の中に問いが生まれた瞬間でもあるんじゃないかと思うんです。

    意味がわからないけどなぜか引っかかる。その引っかかりが、思考を動かす最初の一歩になることがある。

    今回は本の感想を書こうとして始めたのに、気づいたら人間の存在意義まで降りていってしまいました。でもこの遠回り自体が、問い続けるということの実践だったのかもしれません。

    あなたの組織では、問い続けることができていますか。


    今回読んだ本

    この記事のきっかけになったエドモンドソンの書籍です。心理的安全性や失敗の3分類など、組織論としての知見が体系的にまとめられています。

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