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    多層で動いている自分を、そのまま眺めてみた

    多層で動いている自分を、そのまま眺めてみた

    タカシ ユウト/ TIELEC代表
    11 分で読める

    正直に言うと、この文章はうまくまとまらないかもしれません。

    AIとの壁打ちの中で、自分の中にある複雑な感情をひたすら掘り下げていった記録のようなものです。結論が出たところもあれば、まだぼんやりしたまま残っているところもあります。

    でも、その「まとまらなさ」ごと置いておくことに、意味があるんじゃないかと思ったので書いています。


    自分の中にいる「4人」

    AIに「あなたの中の複雑な感情、どう見えてる?」と聞いたことがあります。

    返ってきた答えは、なかなか的を射ていました。

    私の中には、少なくとも4つの異なるエンジンが同時に動いている、と。

    ものを作りたいという創造の衝動。なぜやるのかを問い続ける意味への渇き。共鳴は求めるけれど、安易な承認には距離を置きたいという感覚。そして、内側のエンジンは常に回っているけれど、止まることは嫌いじゃないという矛盾。

    普通はどれかひとつが支配的なんだと思います。でも自分の場合、全部が同席して会議しているような状態がずっと続いています。

    だから複雑に感じるんだろうな、と。


    「死んでも残るもの」を考えたとき

    話がどんどん深くなっていく中で、ふと「自分が死んだあとに残るものって何だろう」ということを考えました。

    過去にも何度か考えたことがあるんですが、やっぱり残るのはプロダクトじゃなくて、思想とか理論なんだろうなと思うんです。

    iPhoneは素晴らしいプロダクトだけど、100年後にはたぶん別の何かに置き換わっている。でも、「テクノロジーと人間の交差点を美しく設計する」という思想は、形を変えて引用され続ける可能性がある。

    プロダクトは形だから、進化に上書きされる。

    思想は構造だから、媒体に依存しない。

    この違いは大きいなと感じています。

    じゃあ自分は何を残したいのか。

    名前でも、理論そのものでもなく、流れなんだと思いました。

    内省する力のベースラインを引き上げたい。自分が生きている間に達成されなくても、想いが引き継がれて、いつか達成されれば、それは目的を果たしたのと同じことだと思っています。


    思想を「前に出す」のか、「埋め込む」のか

    ここで面白い分岐に差しかかりました。

    これまでの自分のアプローチを振り返ると、思想そのものを届けようとしていた気がします。「内省は大事です」「思考の解像度を上げましょう」と。

    でも、文化になるものって、そういう広がり方をしない。

    たいていは、便利な形に変換されて、習慣になって、気づいたら文化になっている。思想がそのまま広まることはほとんどない。

    たとえば、エドワーズ・デミングは品質に関する深い思想を持っていたけれど、実際に広まったのはPDCAや統計的品質管理という「手法」でした。思想は裏にあった。

    自分に置き換えてみると、ORIMDというフレームワークを前面に出して「これを使いましょう」と言うより、開発ツールの中に構造として埋め込んで、使っている人が自然と思考の質が上がっている——そういう設計のほうが、実は文化になりやすいのかもしれない。

    具体的に思いついたのは、AIが自動生成したPRのマージ判断のタイミングです。最後の判断は人間がする。そこに、振り返りの構造をそっと置く。思想は語らない。でも構造はORIMDになっている。

    全部書いてもらう必要はないと思っています。意識できるだけでもいい。

    フレームとして「そこにある」だけで、人は少しずつ変わる。

    ダイエットと同じで、理論が正しくても実践されなければ意味がない。だから、摩擦を限りなく小さくして、「気づいたら判断の質が上がっていた」を狙う。

    この設計には、少し手応えを感じています。


    「効果があるけど証明できない」という恐れ

    内省のフレームを提供してきた実感として、効果はあると思っています。それは間違いない。

    ただ、個人差がある。内省する力のベースラインにもよる。長期的な視点も必要で、変化の要因として測定するのが難しい。やろうと思えばできるけど、自然には測れない。

    自分が一番恐れているのは、「効果があるのに証明できないこと」なんだと気づきました。

    理論として正しいことは示せるかもしれない。でも、それを使うかどうかはまた別の話です。ダイエットと同じ構造。正しさと実践の間には深い溝がある。

    この溝をどう埋めるのか。

    正直、まだ答えは出ていません。


    まだ整理しきれていないこと

    ここまで書いてきて、整理できたこともあれば、まだぼんやりしていることもあります。

    思想を「文化」にするのか、「理論」として確立するのか。その両方を同時にやれるのか。

    効果があると感じているけれど証明できない、この溝をどう扱うのか。

    エンジニア文化に内省を埋め込むという方向性は見えてきたけれど、そこにたどり着くまでの具体的な道筋はまだ霧の中にあります。

    でも、「まだわからない」を抱えたまま進めるようになったのは、少し前の自分よりは成熟したのかもしれません。

    あなたの中にも、矛盾する欲望や、まだ整理しきれていない感情はありますか?

    もしあるなら、それはたぶん、壊れているのではなくて、多層で動いているだけなのかもしれません。


    ここから先は、かなり踏み込んだ内容を書いています。

    自分の中の欲望、弱さ、まだ消化しきれていない感情。記事としての体裁を整えるより、そのまま残しておくことを選びました。読んでくださる方には、そのつもりで受け取ってもらえるとありがたいです。

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