ブログ自体は前から続けていましたが、今月はたまたま調子が良くて、1ヶ月で15本の記事を書きました。日本語と英語の両方で書いているので、実質30本のURLが生まれたことになります。
自分としては、かなり頑張ったと思います。内省のこと、テクノロジーのこと、日々の気づき。書きたいことを書いて、それを形にする日々は充実していました。
でも、ある瞬間に手が止まりました。
違和感の始まり
記事を書き終えて、公開しようとしたときのことです。
「今日はもう1本公開してるから、これは明日の日付にしよう」
そう思って、投稿日を翌日に設定しました。2本目、3本目も同じように、数日後の日付に散らして予約投稿していました。
でも、ふと手が止まりました。
「これ、何のためにやってるんだっけ?」
なぜ日付を散らしていたのか
正直に言うと、理由ははっきりしていました。
「コンスタントに投稿されている方が、読む人にとっていいと思っていた」
たとえば、1日に3本公開されるより、3日連続で1本ずつ公開される方が、「ちゃんと更新されてるな」と思ってもらえるんじゃないか。そんな風に考えていました。
あとは、SEOのことも少し頭にありました。コンスタントに更新されているサイトの方が評価されるんじゃないか、とか。
でも、この作業をしているとき、すごく虚しい気持ちになりました。
「書いたものを、わざわざ後回しにする」
この行為に、どこか引っかかるものがありました。
対話を通じて気づいたこと
ChatGPTに最新の情報を尋ねてみました。本当に日付を散らす必要があるのか、と。
答えは明快でした。
「ほぼ意味ない」
読む人の体験としても、SEO的にも、投稿日を散らすことに効果はほとんどないということでした。むしろ、書いたその日に公開する方が自然だし、運用としても健全だと。
そう言われて、すっと体に入ってくる感覚がありました。
「そうか、これも『見せ方』に囚われていたんだ」
他にもあった「見せ方」への囚われ
日付を散らす作業だけではありませんでした。
たとえば、記事の一貫性のこと。
ブログのテーマは「内省の力を届ける」ですが、テクノロジーの記事も書くし、日々の雑感も書きます。これって、一貫性がないって思われるんじゃないか。そんな不安がありました。
でも、これも同じでした。
「内省 × ものづくり × キャリア」という軸があれば、テーマは一本通っている
むしろ、技術の話も、雑感も、全部が「内省を通じた意思決定」につながっています。それが自分の思想なのに、「SEOのために一貫性を見せないと」という意識が先に立っていました。
書く行為は、誰のため?
この1ヶ月、ずっと「読む人のため」を意識してきました。
読む人にとって分かりやすく。
読む人にとって読みやすく。
読む人にとって価値のある内容を。
それ自体は間違っていないと思います。
でも、「見せ方」ばかり気にして、自分の思想がぶれそうになっていました。
書く行為は、本来「自分の思想を確かめる行為」でもあるはずでした。
内省を通じて、自分が何を大切にしているのか。
どう判断しているのか。
何に違和感を覚えるのか。
それを言語化して、形にするのがブログでした。
なのに、いつの間にか「どう見られるか」が先に立っていました。
決めたこと
この違和感に気づいて、決めました。
「書いたその日に投稿しよう」
日付を散らす必要はありません。
コンスタントに見せる必要もありません。
書けないときは書けない。
書けるときは一気に書く。
それでいいと思いました。
自分の思想を、自分のペースで、形にしていく。
それが、結局は読む人にとっても誠実なんじゃないかと思いました。
関連書籍
書く習慣や言語化について、こちらの書籍も参考になります。
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