アフィリエイト、月数百円の現実
正直に言います。このブログのアフィリエイト収入は、月に数百円です。
基本的には、記事の内容に合った本をAmazonで紹介するスタイルでやっています。高単価の案件も、関連性がありそうな記事にはごく僅かですが貼っています。使っていないサービスを無理に勧めることはしませんが、調べた上で「判断材料として価値がある」と思えたものは、参考として置くことがあります。
ただ、記事全体を「高単価のアフィリエイトに最適化する」方向には、どうしても振り切れなかった。
たとえば転職サイトの比較記事を書けば単価は跳ね上がる。それはわかっている。でも、内省や思考整理をテーマにした記事の最後に「おすすめ転職エージェント!」と置いた瞬間、文脈が壊れる気がしたんですよね。読者が記事の中で感じていた温度と、そのリンクが求める温度が、明らかに違う。
月数百円。サーバー代にもならない金額です。でも不思議と、「失敗している」とは思わなかった。ただ、「このままでいいのかな」という漠然とした違和感はずっとありました。
「収益は欲しいけど、魂は売りたくない」問題
この違和感をもう少し掘ってみると、根っこにあったのは結構シンプルな葛藤でした。
収益は欲しい。ブログを続けていく以上、それが何かの形で回っていた方がいい。でも、収益のために書き方を変えるのは嫌だ。
邪な気持ちだなと自分でも思いました。でも、この葛藤はたぶん健全なものだったんです。
問題は「稼ぎたい」ことじゃなくて、「取り方」だった。もう少し正確に言うと、このブログの読者が求めている体験と、収益化の手段が噛み合っていなかった。
このブログを読んでくれている人は、「答えをすぐに欲しい人」ではなく、「自分で考えたい人」が多いと思っています。「設計の正解が見えない」「決める材料が足りない」みたいな状態で記事を開いて、読んで、考えて、自分なりに整理して、ページを閉じる。その体験を大切にしている人たちです。
そういう人に対して、記事の最後に「今すぐ申し込む!」みたいなボタンを置くのは、温度差がありすぎる。売れば売るほど、自分の一番強い部分——「この人、ちゃんと考えて書いてるな」という信頼——が削れていく気がしました。
違和感の正体は「構造」だった
あるとき、自分のブログを読者の目線で見直してみたんです。
記事を読む。考える。「なるほど」と思う。そして、ページを閉じる。
それで完結してしまう。
読んで満足する完成度が高いほど、読者はそこから動かない。本のリンクを踏むこともあるけれど、それは「ついで」であって、記事の延長線上にある行動ではない。
ここで、すっと腑に落ちたことがありました。
自分のブログは「読了体験がゴール」になっていたんです。信頼は積み上がっているけれど、その信頼を何かに変換する設計がなかった。アフィリエイトが伸びないのは、文章力の問題でも、記事数の問題でもなく、構造の問題でした。
じゃあCTAを強化して、ファネルを作って、CVRを上げればいいのか。マーケティングの教科書的にはそうなります。でも、正直ここで詰まりました。その方向に最適化したら、さっきの「魂を売りたくない」問題に戻ってしまう。
だったら、アフィリエイトを伸ばす方向ではなく、自分自身のサービスを「歪みなく置ける場所」を作ればいいんじゃないか。
そう考えたとき、パズルが解けたかのような気持ちになりました。
「提供価値がぶれる」という恐怖
ただ、自分のサービスを置くと決めても、すぐには動けませんでした。
一番怖かったのは、提供価値がぶれることです。
このブログは「考えている人の文章」として読んでもらえている。そこにサービスの案内を加えた瞬間、「結局売りたいだけじゃないか」と思われるんじゃないか。壁打ち、投げ銭、ツール紹介、いろいろな仕掛けを増やすたびに、ブログ全体の輪郭がぼやけていくんじゃないか。
正直ここで詰まりました。
でも、しばらく考えて気づいたのは、「仕掛けを増やすとブレる」のではなく、「提供価値の定義が言語化されていないとブレて見える」ということでした。
自分がブログでも、対話でも、ツールでも一貫してやっているのは、「考えられる状態に戻す」ことだった。教えない。誘導しない。決めてあげない。代わりに、思考のノイズを取り除いて、自分で判断できる状態を作る。
この一本が通っていれば、形が変わっても価値はぶれない。ブログは「書く」形で、対話は「話す」形で、ツールは「使う」形で、同じ価値を届けている。形が違うだけ。
そう整理できたとき、「壁打ちを書いても怪しくならない」と思えるようになりました。
「売らない導線」の設計
ここからは、実際にやったことを書きます。
サイドメニューの役割を変えた
以前は、サイドメニューにキャリア相談のリンクやサービスの案内を置いていました。目次の下に、いくつかのリンクが並んでいる状態です。
でも、記事を読んでいる最中にそれが目に入ると、読者の思考が一段ジャンプしてしまう。内省モードで読んでいるのに、急に「相談しますか?」と聞かれる感じ。記事の途中で判断を迫られると、読者の思考が途切れるからです。
サイドメニューは「売る場所」ではなく、「この人が何者かを補足する場所」に変えました。
思想ページという「クッション」を作った
これが一番大きな変化かもしれません。
以前は、記事やサイドメニューから直接、料金や内容が書かれた詳細ページに飛ぶ構造でした。読者からすると、記事を読んでいたのに急に「商品紹介」に連れて行かれる感覚になる。
そこで、間に「思想ページ」を1枚挟むことにしました。
思想ページには、料金も申し込みボタンも置きません。書いてあるのは、「何をやっているか」「何をしないか」「どんな人に向いていて、どんな人には合わないか」だけ。
ここを通った人だけが、自分の意志で詳細ページに進む。売るための導線ではなく、合うかどうかを判断してもらうための導線です。
一般的なマーケティングだと「ページを挟むと離脱が増える」と言われます。でも、このブログの読者は押し売りに敏感で、文脈を大事にする人が多い。段階を踏むことが面倒ではなく、むしろ安心材料になる。数は減るかもしれないけれど、来る人の質は上がる。
投げ銭と対話を「切り離した」
記事の末尾には、以前から投げ銭(コーヒー1杯分の応援)のフォームを置いていました。これはこれで、読者が「良かった」と思ったときの出口として機能していて、気に入っています。
問題は、ここに対話サービスの案内をどう共存させるか。
結論としては、投げ銭と対話を同列に並べないことにしました。
投げ銭は「今読んだ記事への感情のリアクション」。対話は「これからの自分の整理のための選択肢」。時間軸が違うんですよね。だから記事末尾は、読後の余韻→投げ銭→対話の案内、という3層構造にして、それぞれの役割を分離しました。対話の案内は、注釈のように控えめに置いてあります。
肩書きを外した
意外とここが肝でした。
私はキャリアコンサルタントの資格を持っていて、起業当初は「何ができる人なのか」を説明するために使っていました。実際、あの頃は資格があって助かりました。自分のサービスがまだ言語化しきれていない段階では、肩書きが盾になってくれたからです。
でも今は、ブログや思想ページで自分のスタンスを説明できるようになった。資格が担っていた「翻訳」の役割は、別のもので代替されている。
それに気づいたとき、「キャリアコンサルタント」という看板を外す決断をしました。もう行くしかないなと思いました。
やっていることは変わりません。傾聴する、整理する、言語化を手伝う。でも、「キャリア相談」と名乗ると、読者は「転職の話をしなきゃいけない」と構えてしまう。「対話の時間」と呼ぶことで、期待値がずっと自然になりました。
勇気がいる選択でした。資格という社会的な正当性を、自分から手放すわけですから。でも、キャリアコンサルタントの学びが身につけてくれたスキルや倫理観は、今も裏側でちゃんと動いています。看板を外しただけで、中身は何も失っていません。
単発を主役にする判断
対話の料金設計でも迷いました。
もともと、単発の対話(1回5,000円)と、内省を自走できるようになるまでの伴走プログラム(8回コース)を用意していたんです。伴走プログラムの方は、自分の力で内省できるようになることを目指す設計で、思想としてはかなり気に入っていました。
でも、「対話の時間」という看板を掲げているのに、8回コースが前に出ると矛盾が生まれるんですよね。「対話の時間って言ってるのに、8回で何か身につける前提なの?」と。
結論として、単発を主役にしました。
8回の伴走プログラム自体は残してあります。ただ、前面に出すのではなく、単発の対話を重ねる中で「もう少し続けたい」と感じた人が自然に選べる位置に下げました。名前もコースやプログラムとは呼ばず、「一定期間、対話を使いながら考え方を身体化していく形」と説明しています。
正直、単価で考えれば8回コースの方が収益にはなる。でも、「まず一度、話してみてもいいかもしれない」という入口の軽さを優先した方が、自分の設計に一貫性が出ると判断しました。
なぜこういう設計は語られないのか
ここまで書いてみて、ふと思ったことがあります。
この手の設計って、マーケティングの教科書にはほとんど出てこない。
理由を考えてみると、いくつか思い当たります。
まず、短期的な数字で評価しにくい。CVRやCTRで測れない。「信頼が蓄積されています」では報告書にならないし、「変な人が来なくなりました」は成果として語りにくい。
成功事例も流通しにくい。この設計で成果を出している人はいると思いますが、バズらないし、派手なBefore/Afterがない。「売上◯倍!」ではなく「疲れなくなった」「ミスマッチが減った」という種類の成果は、教材になりにくい。
それに、「売らない設計を教える」こと自体が構造として成立しにくい。売らない方法を売る、というのは矛盾を含んでいるから、コンサルや講座として商品化されない。だから目に入ってこない。
あと、そもそもここに辿り着ける人が少ないのかもしれません。マーケティングを一通り勉強して、売ることに疲れて、でも成果は諦めていなくて、技術と思想と倫理を同時に考えられる状態。そこまで来て初めて「主張を弱める設計」が選択肢として見えてくる。
名前をつけるなら、パーミッション・マーケティング^1や信頼蓄積型ファネルといった考え方に近いのかもしれません。でもどれも「途中まで」しか言っていない気がしていて、思想からUI、価格、言葉、導線、心理まで全部を通して設計する方法論としては、まだ体系化されていないように感じます。
まだ途中の話
この記事は、成功談ではありません。「こうすれば儲かる」という話でもない。
設計を変えた。納得できた。でもまだ結果は見えていない。
それでも書いておきたかったのは、この「途中」の状態を記録しておくことに意味があると思ったからです。うまくいったあとに振り返って書くと、どうしても「正解だった話」になってしまう。今の、まだ確信しきれていないけれど「これでいい気がする」という温度を、残しておきたかった。
もし同じように、ブログの収益と自分の思想の間で揺れている人がいたら。
「売り方を変える」のではなく、「売らない設計を作る」という選択肢もあるかもしれません。
売り方を変えたのではなく、「売らなくても成立する構造」を先に作った。いまはその観測を始めたところです。
参考:キャリア相談について
ちなみに、記事内で触れた「対話の時間」に近いサービスとして、スキルシェア型のキャリア相談サービスもあります。例えば Coachee のようなプラットフォームでは、気軽に単発の相談ができる仕組みが整っています。
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自分で提供しているサービスの文脈をどう作るかを考える際に、こうした類似サービスの導線設計を参考にすることもありました。