「まあここでいいか」の選択

昼休み、どこで昼食を食べるか考えるとき、私はいつも「まあここでいいか」と選んでしまいます。

別に不満があるわけじゃありません。安いし、早いし、失敗しない。でもなんとなく、「本当はもっと美味しいものを食べたかったな」という気持ちが、心の隅に残ります。

この感覚について、ある日誰かと話していたときに、妙な違和感が言語化されました。

速さと仕組みで勝負するシステム

その人は、あるファストフードチェーンについて話していました。「なんでみんな行くんだろう」と。

たしかに味だけで言えば、他のハンバーガーチェーンのほうが美味しいです。価格差もそこまで大きくない。なのに、気づくと人はそのチェーンを選んでいます。

理由は簡単で、圧倒的に「速い」「どこにでもある」「失敗しない」からです。

そのチェーンは、味で勝負していません。システムで勝負しています。世界中どこで食べても同じ味、同じスピード、同じ体験。そのための仕組みを何十年もかけて磨いてきました。

しかも実質的には不動産会社でもあって、一等地を押さえてフランチャイズオーナーに貸すことで収益構造を安定させています。バーガーの利益だけで勝負していません。

一方で、「美味しいハンバーガーを作る」ことにこだわる別のチェーンは、そこまでの規模になっていません。もちろん業績は堅実に伸びているし、ファンも多い。でも、圧倒的な差があります。

この話を聞いて、私はなんとも言えない気持ちになりました。

飲食店なら、「美味しいものを食べてほしい」という情熱が根っこにあってほしい。でもそのチェーンからは、それがあまり伝わってきません。「いかに買わせるか」が先に来ている感じがします。

正直なところ、「誠実じゃない」と思いました。

ただ、これは一面的な見方かもしれません。私自身、そのチェーンを使うこともあります。忙しいとき、時間がないとき、「まあここでいいか」と選んでしまう。その選択を後悔しているわけでもありません。

だから、そのチェーンを悪者にしたいわけじゃないんです。

消費者もそれを受け入れている

もっと怖いのは、別のことです。

消費者もそれを受け入れてしまっているということ。

丁寧に作られたハンバーガーより、機械的に出てくるハンバーガーを「まあこれでいいか」と選んでしまう。私たちの側も、「本当に美味しいもの」より「手軽で、早くて、失敗しないもの」を優先してしまっています。

そのチェーンは、そういう消費者心理を見抜いて、そこに最適化しました。ある意味、人間の弱さに賭けたビジネスです。

そしてそれは、見事に成功しています。

実際、そのチェーンは今、絶好調らしいです。段階的に値上げを実施して、価格はほぼ倍になっているのに、客足は落ちていない。むしろ過去最高益を記録しています。

株主への配当を増やし、セルフ注文端末を導入して店舗運営を効率化する方針を打ち出しています。つまり、「味より仕組み」「食より効率」という路線を、さらに加速させています。

一方で、世の中全体は健康志向やヘルシー志向が世界的に大きな潮流として続いています。なのに、そのチェーンは勝ち続けています。

これをどう見るか。

「消費者は口では健康と言いつつ、行動では便利さを選ぶ」という現実を、そのチェーンは完全に見切っています。ある意味、人間の本質を一番正確に理解しているのは、そのチェーンなのかもしれません。

誰も悪くないのに、何かがおかしい

このとき私は、ふと思いました。

これって、資本主義そのものみたいだな、と。

何が似ているかというと、「誰も悪くないのに、なんか全体として貧しくなっていく」感じです。

そのチェーンは違法なことをしていません。消費者も自分の意思で選んでいます。従業員も働きたくて働いています。株主も正当に利益を得ています。誰も悪くない。

でも気づくと、街から個人経営の食堂が消えていたり、「早くて安い」が正義になっていたり、食事が「燃料補給」みたいになっていたりします。

資本主義もそうで、個々の経済活動は合理的で自由な選択の結果なのに、トータルで見ると格差が広がったり、環境が壊れたり、みんな忙しくて疲弊していたりします。

「個別では正しいのに、全体では何かがおかしい」という構造。

しかも批判しにくい。「嫌なら買わなきゃいいじゃん」「自己責任でしょ」と言われたら終わりです。

そのチェーンを責めても仕方ないし、資本主義を否定しても代案がない。でも「これでいいんだっけ?」というモヤモヤは残り続けます。

キャリアも同じ構造

そして気づいたのは、これは食べ物の話だけじゃない、ということです。

キャリアも、まったく同じ構造なんじゃないか。

転職サイトを開くと、「市場価値」「スキルセット」「キャリアパス」という言葉が並びます。エンジニアの界隈なら、「技術スタック」「ポートフォリオ」「成長環境」といった言葉もあります。

どれも悪い言葉じゃありません。むしろ、キャリアを考えるうえで大切な視点です。

でも、いつの間にか、キャリアがこういう効率化された言葉でしか語られなくなっている気がします。

「速く動く」「結果を出す」「成長する」ことが正義。丁寧にやりたいのに、速さを求められる。本当にやりたいことより、履歴書に書けることを選んでしまう。

正直ここで詰まりました。

会社員だった頃、私はいつも忙しかったです。目の前のタスクをこなして、次のタスクに移って、また次のタスクに移る。気づくと一日が終わっていて、一週間が終わっていて、一ヶ月が終わっていました。

そんな日々の中で、「なんで自分この仕事してるんだっけ」と考える暇がなかったんです。

いや、正確には「考える暇がない」と思い込んでいました。立ち止まると遅れる。立ち止まると置いていかれる。だから走り続けるしかない。

でもそうやって走り続けた結果、私は自分が何者かわからなくなっていました。

キャリアが「作業」になっていました。目の前のタスクをこなすだけの日々。「なぜこの仕事を選んだのか」を忘れていました。

やりたいことと部分一致の仕事

ここで、やりたいことと仕事が完全に一致しないことについて、少し補足したいと思います。

私自身、自分のやりたいことと完全一致する仕事ばかりを選んできたわけじゃありません。むしろ、部分一致の仕事を選ぶことのほうが多かったです。

生活のため、スキルを身につけるため、次のステップのため。そういう理由で選んだ仕事もあります。

でもそれ自体は、悪いことじゃないと思っています。部分一致であっても、そこから学べることはあるし、成長できることもある。完全に自分のやりたいことと違うものを選んでいたわけじゃありません。

問題は、そういう選択をしていることに自覚的かどうかだと思います。

「これは部分一致だけど、今の自分にはこれが必要だ」と納得して選ぶのと、「なんとなく」「流されて」選ぶのは、まったく違います。

前者は自分のキャリアを自分で決めています。後者は、決めさせられています。

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立ち止まって考える時間

私は休職を期に、丁寧に考える時間を持ちました。

本当は何をしたいのか。なぜこの仕事を選んだのか。これからどう生きたいのか。

そういう問いに、じっくり向き合いました。

すぐに答えが出たわけじゃありません。今も完全に答えが出ているわけじゃない。でも、問い続けることはできます。

そして、その問いを持ち続けることが、意外とここが肝なんじゃないかと思っています。

『すばらしい新世界』の支配

このモヤモヤの正体を考えていたとき、ふと、ある小説のことを思い出しました。

オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』です。

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この小説は、ジョージ・オーウェルの『1984年』と並んで、20世紀を代表するディストピア小説として知られています。でも、描いている「支配のかたち」は正反対です。

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『1984年』は「恐怖による支配」。監視カメラ、思想警察、拷問、言論統制。国家が暴力と恐怖で人々を従わせます。人々は「怖いから」従います。

一方、『すばらしい新世界』は「快楽による支配」。人々は遺伝子操作で生まれたときから階級が決まっていて、「ソーマ」という幸福感を与える薬を飲んで、娯楽とセックスを楽しんで、何の不満もなく生きています。

誰も抑圧されていません。むしろみんな幸せ。でも、深く考えること、苦しむこと、本当の愛情、芸術、哲学…そういうものが存在しません。必要ないから。人々は「気持ちいいから」従います。

私たちが生きている世界は、明らかに後者に近づいていると思います。

誰も銃を突きつけて「このチェーンに行け」とは言いません。誰も「この仕事を選べ」とは言いません。でも気づくと、そうしています。

Netflixを止められない。スマホを手放せない。TikTokを延々とスクロールしてしまう。

不快じゃないんですよね、むしろ快適。だから抵抗する理由がない。「これでいいのか?」と立ち止まる動機がありません。

ハクスリー的な世界の恐ろしさは、人々が自分の隷属を愛するようになるということです。鎖を断ち切る必要がない。だって鎖が気持ちいいから。

ファストフードの話に戻すと、私たちは「安くて早くて便利」という快適さを与えられて、その代わりに「本当に美味しいものを選ぶ力」「待つ力」「手間をかける喜び」を少しずつ手放しています。でもそれを喪失だと感じません。だって今、困ってないから。

キャリアも同じです。「効率的に成長する」「市場価値を高める」という快適さを与えられて、その代わりに「なぜこの仕事をするのか」「本当は何がしたいのか」を考える力を少しずつ手放しています。でもそれを喪失だと感じません。だって今、困ってないから。

これが「極限まで行った世界」の怖さだと思います。

気づいたときには、失ったものが何だったかすら思い出せません。

最適化しないことを選ぶ

じゃあ、どうすればいいのか。

大きなキャンペーンや運動を起こすべきなのか。「あのチェーンに行くのをやめよう」「効率化されたキャリア観を捨てよう」と呼びかけるべきなのか。

いや、それは違うと思います。

そういうキャンペーンは、結局「正しさの押し付け」になってしまいます。反発を生むし、分断を深めるだけです。

しかもそれって、ファストフードチェーンと同じ土俵に乗ってしまってるんですよね。大きな仕組みで人の行動を変えようとする、という意味で。「行かせる仕組み」vs「行かせない仕組み」の戦いになってしまいます。

変革を「起こそう」とした瞬間、それもまた一つのシステムになってしまう気がします。

だから私が考えるのは、もっと個人的で静かなことです。

「最適化しない」ことを意識的に選ぶ。

早くて安いチェーンがあるのを知りつつ、あえて時間かけて別の店に行く。合理的じゃないけど、そうする。効率を手放す余裕を、個人が少しずつ持ちます。

キャリアも同じです。市場価値が上がる選択肢があるのを知りつつ、あえて「今の自分に必要なこと」を選ぶ。効率的じゃないかもしれないけど、そうする。

あとは**「言語化して共有する」**こと。今まさにこうやって書いているみたいに、「なんかモヤモヤする」を言葉にして、誰かと共有します。それ自体が価値観を揺さぶる小さな力になります。

そして何より、「これでいいんだっけ?」と問い続けること

立ち止まって、考える。内省する。

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その時間を、意識的に持つ。

流されずに生きる小さな抵抗

正直に言うと、これは「世界を変える方法」じゃありません。

**「自分が納得して生きる方法」**です。

ファストフード的な世界の中で、効率化されたキャリア観の中で、自分だけでも流されずにいたい、という。

全体最適を本気で考えるなら、やっぱり政策とか、企業へのプレッシャーとか、もっと大きな力学が必要なんだと思います。でもそこは正直、私には見えていません。

それに、どうなんでしょう。「良いものを作る」ことにこだわるチェーンが広がることのほうが、意義があるのかもしれません。人々の健康を考えたチェーン店は、ファストフードより社会的な意義があります。資本主義の中で「ちゃんとしたもの」が勝つ流れを作る、という意味で。

キャリアも同じかもしれません。「効率」より「丁寧さ」を大切にする企業が増えること。「成長」より「納得」を優先できる環境が広がること。

ただ、そういう企業や環境もまた、効率化の波には逆らえません。生き残るために必要なことでもあります。資本主義の競争の中にいる以上、「効率化しない」という選択肢はほぼありません。

結局、「良いものを作りたい」という意志だけでは、システムの重力に抗えないんですよね。

完全な希望でも絶望でもない。その中間のどこかで、選び続けるしかないのかもしれません。


そしてさらに正直に言うと、私はこんなことを考えながら、その日の昼食は別のファミレスでハンバーガーを食べました。

理想を語っておきながら、結局その日の気分と近さで決めました。

でもそれが人間だと思います。

「選択が大事」「意識的に選ぶ」とか言っておいて、結局その日の気分とか、近さとか、そういうもので決まる。私たちはそういう生き物だし、それを否定しても仕方ありません。

むしろ、ファミレスでハンバーガーを食べながら「これでいいんだっけ?」と考え始めたんだとしたら、それはそれで意味があります。

完璧に「正しい選択」をし続けることはできません。

でも、「これでいいんだっけ?」と問うことはできます。

そして、たまに、意識的に別の選択をすることもできます。

それだけで十分なのかもしれません。

内省する力を失わないこと。

立ち止まって、考えること。

それが、この世界で流されずに生きるための、小さな抵抗なんじゃないかと思います。


あなたは何を選んでいますか?

そして、選ばされていませんか?